2010年6月15日火曜日

聖書

「聖書は神の言葉だ!」
「はい、全くそのとおりです!」と素直に答えることが出来るようになったのは、正直なことを言ってしまえば 数年掛かった。長い間、「ホンとかな?」と聖書の所々で疑問を感じた。さらに「聖書は神の言葉でミスが無い」と頭越しに言われても、なんと対応していいのか困ってしまった。もちろん 主の神にはミスは無いが、人間はミスをする。人間が書いた書物に一つもミスが無いのか?と疑問を感じた。それに、創世記前半では、けっこう人が長生きする 実際に数百年も人間は長生きできるのだろうか?とか、義務教育で進化論を教わるので、本当に主の神は人を土から創ったのか?と科学的な見方をしてしまう。もし、学校のテストに進化論のことがでたら、クリスチャンとしてどうやって解答すればよいのだろう?などと考えていた。
不思議と、時が経つにつれて聖書に対する疑問が無くなっていった。聖書の中の出来事を批判するエッセイを読んでも、聖書を疑うことは無かった。
もう一つ不思議なことは「なぜ聖書を神の言葉と信じるのですか?」と聞かれたら、特に理論的で他の人が満足できそうな理由が思い浮かばない。もちろん、聖書の真実性をサポートするエッセイも読んだし 話も何回も聞いたが 特に「これだ!」と心に響いたものは無かったような気がする。主が聖書を信じるように手伝ってくらたからです と非理論的な答が浮かんでくるのだが はたして、そんな答え方をして良いのだろうかと不安になる。

神学では「聖書は神の言葉でミスが無い」という解釈の仕方には いろいろあるようだが、実際に教会に通っている人達はどのように考えているのか と興味を抱く。何時もキリスト教や聖書のあら捜しをしていると健康なキリスト教徒になれないが、もし聖書に疑問を抱いている人がいたら、健康なクリスチャンになるために真剣に話し合ったほうがよいのでは。