2010年6月10日木曜日

キリスト教の教え方

「キリストって誰なんでしょうか?」と質問が息子の日曜学校であって
「100%神で100%人間です」と息子が答えたと自慢げに教えてくれた。
困ったことは、私が息子にキリストは誰かと教えたことを丸覚えしただけで
答えが正解でも、これがどんな意味か息子は理解していない。もちろん、三位一体説を小学校一年生が理解できるはずが無いが、果たしてこんなことでいいのだろうか?と不安になる。

そんな事を考えていると、私が教会に行き始めた頃を思い出した。教会に通いだした頃は、牧師の説教の意味が何も理解できなかった。何時も「何で、周りの人達は関心して説教を聴いているのか?」と不思議に思った。それどころか、説教を聴いているのが苦痛になることが多かった。

そして、時が少し経ち 今度は教会の人達が私に「イエス・キリストとは誰か」と真剣に説明し始めた。「私たちは罪びとだ。」「イエスは私達の罪のために十字がにかかげられた。」「主は私たちを愛してくれている。」などだ。何回も繰り返し教えてくれたので私はそのこと理解しないまま 丸覚えしてしまった。そして、徐々に教会に行くのが面白来なくなっていた。なぜならば、教会にいくと興味のないキリスト教の話が永遠と続くからだ。教会に行くようになったのはフレンドシップを拡げるためで、キリスト教に興味があったわけではない。更に、教会に通い始めても特にキリスト教に興味を抱かなかった。
結果的には 私はキリスト教のことを話すが大好きになったのだが、果たして 私の息子もいやいやと私のキリストに関する説明を聞いているのだろうか と疑問に感じる。
教会に来る無信者の人達には、押し付けるようにキリストのことを教えるのか、それとも、興味がその人達にでるまで ゆっくりと待つのが最適なのだろうか。
私の場合は、キリスト教の考えを押し付けられるのは苦になっていたが、押し付けられていなかったら、クリスチャンにはなっていなかっただろう。