教会に通い続けたり、聖書を読み続けたりするとクリスチャンとはどういうことかということが分かってくるが、 全ての聖書の教えを実行できるのは苦難ことも分かってくる。
どんな行いをすれば理想のクリスチャンになれるのは分かってくるのだが、現実的には不可能なのでは?となってくる。例えば、キリスト教徒はイエス・キリストの様になろうとする。しかし、罪を犯さないイエスは神であって、キリスト教徒は罪を犯すし 神にもなれない。目標・ゴールを設定しても、絶対にその目標に達成できない。
もちろん、そのゴールに向かって地道に歩んで行けばよいのだろうが、あまりにもゴールが遠すぎて「果たしてゴールにたどり着けるのだろうか?」と疑問になってくる。
きっと、物事をあまり深く考えないで、前向きに考え、リラックスするのが好いのだろう。
そんな事を考えていると、カルヴァン派の人達が少し羨ましくなる。
2010年12月10日金曜日
2010年12月7日火曜日
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